「諦めるために挑戦したはずだった」
1年間、生活が保証されている日本での契約を破棄し、たった3ヵ月しか保証されていないモンゴル行きを決めた時、周りからは反対の意見がほとんどでした。
モンゴル側からの提示はシンプル。
「3ヵ月は保証する。ただし、結果が出なければ即解雇。結果を出せば、延長」
どんなに試合に出られなくても、活躍できなくても1年間は給料が保証される日本とは違います。モンゴルでの自分は“外国籍選手”。3ヵ月どころじゃない。2〜3試合ダメなパフォーマンスが続けば、すぐにクビの噂が立つ。
「1試合も気が抜けない」
そんなヒリついた環境でプレーするバスケは、正直ゾクゾクしました。きっと昔から、アドレナリン中毒なんだと思います。改めて感じたのは、日本で活躍している外国籍選手たちの凄さと、その裏にあるプレッシャーの大きさでした。

当初、モンゴルリーグのアジア枠はインド代表、インドネシア代表、香港代表、マレーシア代表など、各国の代表クラスばかり。そんな選手たちですら、12月のトレードデッドラインで次々とカットされていきました。その中で、代表歴のない自分が外国籍選手として1シーズンをやり切り、さらに目標に掲げていた「全試合出場」を達成できたことは、大きな自信になりました。
とはいえ、課題は山ほどあります。プロとして評価されるのは「数字」です。チームを勝たせながら、同時に数字も残す。その難しさを、身をもって知ったシーズンでした。

モンゴル挑戦を決めた理由の一つは「諦めるための挑戦」でした。これまで、試合経験の少なかった自分を支えてきたのは“根拠のない自信”。
「試合に出たら、もっとできる」
「出れば活躍できる」
そんな証明されていない自信だけで、ここまで来ました。でも、その自信を持ったまま引退してしまったら、絶対に後悔すると思い決めたんです。どうせ散るなら、派手に散ろうと。この“根拠のない自信”ごと吹き飛ばされるくらい、圧倒的な壁にぶつかろうと。
その答えが、EASL(東アジアスーパーリーグ)でした。
EASLを戦って見えてきた「これから」
僕が移籍したブロンコスのグループは、アルバルク東京、韓国王者のLGセイカーズ、TPBL王者のニュータイペイ・キングスと強豪ぞろいでした。各国のチャンピオンたち相手に、正直に言うと、何もできずに終わると思っていました。頭が真っ白になって、ボールも運べなくて、ボコボコにされる。そうなれば、きっと諦めもつくだろうと。
でも、実際にコートに立つと、意外なほど冷静でした。ゲームをコントロールできた。ボール運びで崩れることもなかった。そして、自分たちは各国の王者相手に勝利を重ねていきました。
気づけば、「夢を諦めるための挑戦」は、逆に自分の中のバスケへの熱をさらに上げる結果になっていました。

30歳を目前にして、ようやく見えてきた生き方があります。それは、外国籍選手としてアジア各国で戦い続けるという道です。EASLに出場するようなクラブと契約できるなら、それがベストだと思っています。理由はシンプル、強いやつと戦いたいから。
同時に日本での自分には、まだやり残していることがあります。Bリーグで結果を残したシーズンはないし、引退するまでに日本で結果を残せないと、いくら海外で活躍できても「アイツは日本で活躍できなかった」って言われ続けてしまいますからね。全員を黙らせるには、結果を出すしかありません。
自分をここまで連れてきたのは、根拠のない自信と、反骨精神と、誰よりも強いバスケへの愛でした。バスケットボールは、自分を世界に連れ出してくれて、たくさんの景色を見せてくれました。
さて、来季はどんな旅が待っているんだろう。
▼24年4月公開のドキュメンタリー
▼過去のノーカットインタビューを購読する